鱗光 第3章

──特集──  丸筑魚苑

「新ハウス池に潜入!」

第3章 「錦鯉が好き」がベースに
──小西さんはもともと愛好家だったとお聞きしています。
小西 小学校時代に父が釣り堀を作って錦鯉を置いたりしていたので、出会いは早かったです。佐世保の小川養魚場さんから稚魚を買って、田んぼで育てたりもしていました。

──庭池もあったんですか?
小西 ありましたね。野池を借りて黒鯉の養殖もしたことがあります。ウナギを作った時期もあったなぁ。

──田もあって、釣り堀や養殖もされていたんですか。ずいぶんと広い土地をお持ちなんですね。
小西 父は「丸筑農園」という農園を経営していたんです。田主丸という土地柄は江戸時代から果樹苗を生産していて、いまでもその生産が盛んです。現在は私の兄一家が引き継
いでやっています。宮崎のマンゴーや「たまたま」というブランドのキンカンの苗木も実家から出荷されています。
父は魚が好きだったので、私がいま錦鯉をやっているのは、その影響なんでしょうね。

──中学生のときには愛鱗会に入会されていたと聞きましたが…。
小西 そうです。一番の若手でした。ずいぶん早熟だったんですね。

──入会のきっかけは何でしょう。
小西 父の友達から誘われたんじゃなかったかな。その方は私の鯉の先生で、あちこちの鯉屋さんに連れて行ってもらいました。
愛好家の池も見せてもらいましたね。久留米でも、すごい池に、びっくりするような鯉を飼われていた方もいました。けれど、一番の衝撃は高校二年生のときに見た佐藤昭三郎さんの池です。

──佐藤昭三郎さんといえば、全国大会で何度も全体総合優勝をされていましたね。
小西 そうなんです。いい鯉をたくさん飼われていましたし、池もすごかったです。いずれにせよ、当時は錦鯉ブームだから庭池を持っている人もたくさんいました。

──見学先には事欠かなかったんですね。自分専用の池は造られたんですか?
小西 父が裏庭に20トンほどの池を造ってくれました。

──品評会にも出品されていたんですか?
小西 中学校時代にはすでに出品していました。そういえば、1973年の品評会で白写りが描かれた立派な焼き物を賞品にいただきましたが、まだ大切に保管しています。その白写りのモデルは筑後の方の鯉でした。
高校二年生のときに、九州大会に出品された「槍の紅白」も見ました。素晴らしい鯉だったと、いまでも記憶に残っています。「これが絶対に優勝ばい」って仲間と言っていたんですが、結果は……(笑)。優勝こそしませんでしたが、「槍の紅白」は伝説の鯉になりました。

──品評会で素晴らしい鯉を感受性豊かな時期にたくさん見たことは、プロになって役立ったのではないですか?小西 全国大会は高校生だった第六回大会から見学に行っていました。「槍の紅白」が出品された品評会に自分も鯉を出品していたんですが、けっこういいところまで行ったんです。その鯉は某業者の方が見初めてくださって、全国に持って行ってくれました。ところが、実際に全国大会で自分の鯉を見ると「あれれ???」という感じでした(笑)。
「全国大会のレベルは違うな」 って実感したものですよ。
 品評会だけではなくて、私の鯉の先生もすごくいい鯉を持っていましたから、いま思えば恵まれていましたね。「こぶし」っていう有名な昭和三色がいましたが、その親鯉に
なった鯉を持たれていました。その方は私が大学生のときに早世されてしまって……。今回の新ハウス池も、存命であれば見ていただきたかったです。

──プロになろうという意識はいつごろからありましたか?
小西 常に漠然とそういう思いはありました。高校卒業してからプロになる道もあったんですが、大学を受験したら間違って受かってしまって(笑)。勉強が好きだったので人より
長く大学に通いました(笑)が、その間に将来のことを考える時間がたっぷりありました。
 当時、「丸筑農園」 ではウナギの養殖もやっていたんですが、〝果樹苗木で儲けた分をウナギが食べる〟という感じで(笑)、とても将来性のある品目とは思えませんでした。
そもそもウナギは稚魚(シラスウナギ)を購入して育成しなければいけませんが、錦鯉なら卵から作ることができるから、だいぶ得になるかな(笑)と思ったんです。
 どこかの企業に就職するつもりはさらさらなかったし、いずれにせよ、錦鯉が好きだということが根底にあったのは間違いないです。

──お父様も魚がお好きだったようですしね。
小西 「錦鯉をやろうと思う」と言ったときも、父は反対しなかったですね。丸筑魚苑を立ち上げるときは、錦鯉に関してそこそこ自信があったので、特に不安はありませんでした。逆に今のほうが「錦鯉って思った以上に難しいな~」(笑)と謙虚になっています。

──今回の東京大会でも、過去にも国魚賞を受賞されているし、九州地区ではコンスタントに賞を獲られているので、自信はずっとお持ちなのかと思っていました。
小西 今はわかったつもりでいるんです(笑)。ただ、錦鯉は奥が深いので、わかったと思っても、次にはわからなくなるこの繰り返しですね。
平成24年に愛鱗会大会で全体総合した阪井産の紅白ですが、この鯉を75cmのときに東京大会で審査したんです。そのときにも「すごい鯉だな」と感じましたが、まさかあれほどの成長を見せるとは思いませんでした。そのとき、同じ阪井産の鯉と競って、結局のところ国魚賞は獲れなかったんです。

──成長過程を見通すのは、なかなか難しいものなんですね。
小西 75cmのときは普通の鯉だったんですよ。だから、そのときに推したのは、私とアメリカの方だけでした (笑)。

──推した小西さんですら驚くような成長を見せたということですから、錦鯉は本当に奥深い世界ですね。楽しいんだけれど難しい傍から見ると、たいへんなお仕事だなと思いますが…。
小西 好きなことだから、苦労はないんです。好きなことを仕事にできたことは、本当に幸せなことだと思っています。でも、もうちょっと儲かったら、もっと幸せです(爆笑)。